2016年11月24日木曜日

村上春樹と換喩:エルサレム賞受賞スピーチを修辞学の視点から眺めると

村上春樹と換喩:エルサレム賞受賞スピーチを修辞学の視点から眺めると

2009年1月21日以前には、村上春樹は換喩と隠喩の違ひを正しく理解してをりません。

それでは、この日以降についてはどうでせうか?

「2009年1月21日、イスラエルの「ハアレツ」紙が村上のエルサレム賞受賞を発表」といふことですが(https://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹)、村上春樹の此の受賞スピーチを読みますと、この時までは、村上春樹は換喩と隠喩の識別区別がつかなかつたといふ事が判ります。以下の当該箇所を引用します。

が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。それは、私がフィ クションを書くときに常に心がけていることです。(座右の銘として)紙に書いて壁 に貼っておくという程度ではなく、私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。それ は、こういうことです。 

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側 に立つ。 そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正 しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれ ないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかな る理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょう か。 

このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装 の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。

この譬喩は、隠喩を正確に多用した三島由紀夫の世界からみれば、修辞学的にはメタファ(隠喩)では全然なく、1:1の関係で言葉を用ゐてゐるのである以上、これは明らかに換喩です。

即ち、村上春樹は、この2009年1月21日の時点までは、換喩を隠喩(メタファー)の識別区別ができずに、この二つの譬喩(ひゆ)の関係を誤解をしてゐた。

とすると、この年の後に書いた小説に注目すると、それ以降には、次のやうな作品があります。上記Wikipediaより引用します。

長編小説

中編小説


短編小説

随筆

紀行文・ノンフィクション

対談集・インタビュー

雑誌・書籍等掲載

インターネット関連


しかしながら、2013年発表の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最後の章を読みますと、この修辞学上の、また話法上の試みは、作家本人の否定する「説明文」になつてゐて(『職業としての小説家』新潮社文庫版、2015年刊、同書135ページ)、『職業としての小説家』で述べてゐるやうな「メタフォリカル」な隠喩の文章になつてをりません。


しかし此の『職業としての小説家』で述べてゐるやうに、多崎つくるの物語が「水面下ではいろんなものごとが複合的に、またメタフォリカルに進行している小説だと僕自身は考えてい」(同書、259ページ)るといふのであれば、上記に引用した作品に於いても、未だ隠喩のことは成就せずにゐるのです。

従ひ、アンデルセン文学賞受賞スピーチの言葉を信じて、自作を待つ以外にはないといふのが、わたしの今の意見です。但し、わたしの期待が裏切られないのは、村上春樹がメタファー(隠喩)が掛け算であつて、超越論的な無時間の空間を創造できる譬喩(ひゆ)であるといふ認識を持ち、これを理解できてゐる場合に限ります。

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